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パンダ(ぱんだ)
[ 日本大百科全書(小学館) ]
giant panda

[学名:Ailuropoda melanoleuca]

哺乳(ほにゅう)綱食肉目クマ科の動物。この動物の分類については1世紀以上にわたってアライグマ科、クマ科、パンダ科などの論議がなされてきたが、1996年以降のDNA研究の結果から、早期に分岐したクマ科の動物とみなされている。普通、パンダの名でよばれるが、ほかにジャイアントパンダ、オオパンダの名もあり、中国では大熊猫(ターシェンマオ)と称する。近似種にはレッサーパンダAilurus fulgensがある。パンダは中国四川(しせん/スーチョワン)省の中部・北部、甘粛(かんしゅく/カンスー)省の南端、東経102~104.4度、北緯28~33.25度の範囲に分布。海抜1000~3000メートル、ときに4000メートルの高山地帯で、竹林の密生する所に生息する。本種が動物学上に登場したのは、1869年、フランスの神父ダビッドPre Armand David(1826―1900)によってヨーロッパに紹介されたのが初めてである。

1. 形態
外部形態は、クマに似て頑丈な体格をなし、頭は丸く、胴は太く短く、四肢は太く筋肉質である。成獣は、頭胴長1.2~1.5メートル、尾長10~15センチメートル、体重は80~150キログラム。前肢の手の親指の外側には、指状の突起がある。この突起は可動性に富み、タケに登ったり、タケの枝をつかんだりするのに適し、俗に6本目の指とよばれる。体毛は、黒色と白色のツートンカラーで、目の周り、手と前後肢および前肢から肩の上、頸(くび)の背面までは黒色、ほかの部分は白色である。この体毛から、イロワケグマ(色分け熊)ともよばれたことがある。内部形態は、植物性の食性にもかかわらず、肉食性の形態を残し、胃は単胃で小さく、腸管の長さもわずかに体長の4倍ほどにすぎない。ただ、歯は植物食に適合して、臼歯(きゅうし)は扁平(へんぺい)で幅広く咬合(こうごう)面が大きい。

2. 生態
密生した竹林帯に単独で生活し、おもにタケの葉、タケノコなどを食べる。飼育例では、タケの葉のみならず、直径5センチメートルほどのタケの茎をかみ裂き、表皮をはぎ取り、茎肉を好食したことがある。野生のものでは、魚、小動物を食べたという記録もあり、ロンドン動物園ではニワトリのもも肉、上海(シャンハイ)動物園ではウシの肋骨(ろっこつ)を炭火で焼いたものを与えていた例がある。行動は朝と薄暮に活発で、日中と夜間は休息していることが多い。発情期は春で、雌雄ともににおいづけ行動が活発になり、特有の鳴き声を発して、配偶関係を結ぶ。妊娠期間はおよそ150日で、秋に1~2子を産む。新生子はわずかに体重100グラム前後で、感覚機能、運動機能ともに未熟である。約6か月間哺乳し、1年間ほど雌親と行動をともにするが、親離れ以後は単独生活に入る。

飼育下での繁殖はむずかしく、中国の北京(ペキン)動物園、上海動物園以外では、メキシコのチャプルテペック動物園、スペインのマドリード動物園、アメリカのワシントン国立動物公園および日本の上野動物園などに例がある。上野動物園の場合は、1979年(昭和54)にランラン(蘭蘭、雌)、カンカン(康康、雄)のペアが自然交配に成功し妊娠したが、出産直前にランランが死亡。その後ホアンホアン(歓歓、雌)とフェイフェイ(飛飛、雄)のペアの間で人工授精が試みられ、85年6月に第1子チュチュ(初々、雄)を出産したが2日後に死亡、ついで86年に実施した人工授精で6月に第2子が生まれて無事に成長し、トントン(童童、雌)と命名、さらに88年6月には第3子ユウユウ(悠悠、雄)が同じく人工授精によって誕生した。その後、ユウユウは92年(平成4)11月に北京動物園のリンリン(陵陵、雄)と交換され、リンリンとトントンとの繁殖が期待されたが、トントンが2000年7月に死亡し、東京第2世の実現は果たせなかった。また、フェイフェイが1994年12月、ホアンホアンが97年9月に死亡し、リンリン1頭になってしまった。リンリンは、2001年以降チャプルテペック動物園との繁殖計画に参加し、繁殖期の春を同地で過ごしているが、2003年現在ではまだ繁殖に至っていない。

3. パンダ保護
パンダは、中国では第一級保護動物として厳重な保護下にある。パンダの調査と保護活動が国際的規模で行われるようになったのは、1974年から76年にかけて主要な餌(えさ)であるタケが枯死し100頭を超える野生パンダが餓死するという事態が起こり、80年に中国政府がWWF(世界野生生物基金。現世界自然保護基金)と協力して調査と保護対策を講ずるようになってからである。90年代に行われた大規模な生息数調査によってほぼ1000頭という数字と生息環境の悪化が明らかになり、野生状態での保護と飼育下における増殖の両面作戦が必要とされた。とくに野生での保護は保護区の拡大・新設とともに各保護区を結ぶ「緑の回廊」(コリドー)の設置が開始され(2000)、飼育下では繁殖施設の増設と中国動物園協会と国際自然保護連合(IUCN)の野生生物保全繁殖専門家グループ(CBSG)が協力して増殖と基礎研究にあたることになった(1998)。しかし、これらの努力にもかかわらず、2001年2月15日のWWFの発表によれば、野生のパンダの生息数はほぼ1000頭と改善されておらず、その理由は生息山林の減少と生息地の分断にあるとされ、今後の積極的な対策が求められている。

飼育下繁殖は近親交配を防止する血統登録の実施や人工授精技術の向上などによって改善され、成都(せいと/チョントゥー)や臥龍(がりゅう/ウーロン)にある繁殖センターおよび北京、成都、重慶(じゅうけい/チョンチン)、上海などの動物園で毎年十数頭の繁殖がみられるようになっている。パンダの繁殖活動は中国国外でも行われており、日本では、前述の上野動物園とチャプルテペック動物園の共同繁殖計画(2001~)のほか、中国のジャイアントパンダ増殖計画に協力し共同研究をする目的で、和歌山県のアドベンチャーワールドおよび神戸市立王子動物園は中国からパンダを受け入れている。アドベンチャーワールドでは、中国で人工授精を受けてきた雌のメイメイ(梅梅)が2000年9月6日に雌のラウヒン(良浜)を出産し、引き続いて前述の増殖計画により1994年に来園した雄のエイメイ(永明)との間にも2001年12月17日に第2子(ユウヒン(雄浜)、雄)、2003年9月8日に雄の双子の第3子、第4子(リュウヒン(隆浜)、シュウヒン(秋浜))を出産している。また、アメリカのサン・ディエゴ動物園でも1999年8月に1頭が出産している。いずれにせよ、野生の保護と飼育下繁殖は車の両輪であり、その並行的進展が重要である。

[ 執筆者:中川志郎 ]
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